雑談:約束を守るって大切なことですよね✨( *´艸`)✨

出典: 2024年10月16日 記者名: 嶋泰宣 記事タグ: EMS
雑談:約束を守るって大切なことですよね✨( *´艸`)✨
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 日本に帰国して数日。ワッツアップにダヨさん(オバサンジョ元大統領の末っ子であり、秘書兼オバサンジョファーム社長)から連絡が。

その後は元気かい?日本には無事に帰国できたかい?ビジネスは出来そうか?

心配していただき、感謝と共に、

「雑談でしたことは忘れてね、サッカーが大好きすぎて、変な相談をしてしまった…だから、忘れてくれ。」

私が何を、ダヨさんから雑談ベースで相談されたかと言うと、ダヨさんは熱狂的なヨーロッパサッカーファンで、その中でも、フェイエノールト等で活躍した、

「小野伸二」の熱狂的なファン!!❤⚽❤

無理だと思うが、もし、小野伸二のサインがもらえたら、送ってほしい。

俺の夢なんだ!!と目を輝かせて話してくれたことを鮮明に覚えている。

沢山、お世話になったダヨさんの夢✨⚽✨

叶えないわけにはいかないでしょ!!

とは言っても、小野伸二と私は年齢は近いが接点がない…。

そうそう、雑談ですが、私の家系は、母が札幌オリンピック出場(リュージュという1人乗りのそりのスピードレース)、真ん中の兄が、野球で、高校生初のオリンピック出場とオリンピア家系です。

天邪鬼な私は、野球をやったことがありませんw

兄は、その後、広島東洋カープへドラフト2位で入団、その後、西部ラインズへ移籍し、プロ野球19年間に終わりを告げ、その後、西部ラインズ1軍打撃コーチなどを約10年。(現役中は首位打者も1回獲得し赤ゴジラの名称で呼ばれてました。)

当時は、野球が国技?と言うレベルで盛り上がっており、まわりでも野球をすることが当たり前な時代でした。当の私も1980年(昭和55年)生まれで、世の中では、「松坂世代」と総称されました。

心のどこかに常に、俺も野球やってたら、もっと違った人生を歩めたのでは??

と考えることがありますw

じゃーなんで、野球をやらなかったか?

・親父が、幼稚園年長の私に対して、6歳離れた長男と同じ強さの打球でノックをしてきて、捕球できないので体のどこかに当たり痛いだけで面白くない。

・幼稚園の嫌いな子たちが、野球を選んでいる。

・天邪鬼な性格なので、兄2人がやっている野球以外をしたかった。

まーこんな理由から、私は考えました。

ボールが小さいから、当たるし、痛い。だったら、捕らなくてよくて、ボールが大きいものを選ぼう!!とww

そこで、選んだのが、「サッカー」でした。

高校生までサッカーを続け、高校は、埼玉県の西武台高校。

なんと、サッカー部だけで部員は約400名と、全国大会にも出場する名門校。

じゃー余程、サッカーが上手かったのか?

いいえwwお勉強が出来なさ過ぎて、進学先がなく、やむなくスポーツ推薦で受け入れてくださったのが西武台高校であり、サッカー部と言うだけですww

部員約400名…練習はきついし、試合前には謎の「気合!気合!気合!気合!気合!」という掛け声の怒号は飛ぶし、軍隊並みの縦社会で揉まれましたw

今ではいい経験ですし、同じ釜の飯を食った仲間が多く、社会に出てからも繋がりが多いのは、ありがたいことです。

さて、本題に戻り。小野伸二との接点探し。接点はすぐに見つかりました。

当時、小野伸二は「コンサドーレ札幌」に所属しており、前年、ミスターコンサドーレと愛称がついた「河合竜二」が引退し、フロント業務に就いていた。

コラムなので、河合竜二と呼び捨てにしますが、この方、私の西武台高校サッカー部の2つ上の先輩であり副キャプテン、弟が同級生で、同じ埼玉県で、小学校の時から対戦していて、全国大会出場を争ってきた大先輩であり、憧れの人✨

先に書きました通り、軍隊であり、縦社会のサッカー部。2つ上の副キャプテンに、当時、気安く話しかけられるわけもなく、卒業から25年もたっており、私のことなど覚えていないだろうな…と思いつつ、インスタグラムのメッセージでご連絡。

はい。まったく覚えられてませんでしたwww

そりゃそうだw部員約400名もいて、2つ下の後輩を構っている暇がないくらい、始発・終電でサッカーに打ち込む先輩が覚えているはずもない(笑)

ただ、約束を守りたい気持ちと、ちょうど、アフリカ野球振興がうまくいかない理由を聞きたく、別件で北海道へ行く予定があり、アポイントメント獲得!!

25年ぶりの対面にドキドキしながら、予約していただいた(大先輩に予約させるなww)お寿司屋さんへ。

ご挨拶と共に、固く握手を交わし、本当に後輩??(笑)掛け声は??(笑)など西武台高校サッカー部でないと分からないなぞなぞを繰り返し、やっと本題w

ナイジェリア元大統領の末っ子のダヨが小野伸二の熱狂的なファンでサインが欲しいです!どうにかなりませんかね???(笑)

うーーーーん、仲良いから話は出来るけど、本人が嫌がったら出来ない。

それでもいい?と。ちなみに、河合竜二のサインはいらないの?(笑)とw

はいwごめんなさいwいらないですw(大先輩に失礼すぎるww)

そうして、美味しいお寿司にビールが進み、懐かしい西武台高校サッカー部談義が盛り上がり、閉店と共に2件目へはしごし、深夜まで飲ませて頂きました✨

1週間後くらいに、大先輩から連絡が。

伸二が良いよ!って言ってくれたから、サイン送るから住所教えて!と❤

キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー( *´艸`)

飛行機運はないが、人のご縁と運だけはある私!!やりました!!

ダヨとの約束が守れる!!❤早速、ダヨへ連絡し、約束していた、

小野伸二のサインもらえるよ!届いたら送るね!!と✨

子供のように電話ではしゃぐダヨがまた可愛らしかった❤

すぐにサインは届き、色紙をイメージしていたが、なんと、ユニフォームにサイン!!しかも、ダヨの写真を送っていたので、あわせて、大きいサイズ!!

お気遣い、誠にありがとうございます(´;ω;`)ウゥゥ

早速、御礼のご連絡と、EMSの手配をして郵送🏣

はい…私はここでへまをしました…

郵便物内容に「Shinji Ono プにダヨさん(オバサンジョ元大統領の末っ子であり、秘書兼オバサンジョファーム社長)から連絡が。

 

その後は元気かい?日本には無事に帰国できたかい?ビジネスは出来そうか?

 

心配していただき、感謝と共に、

 

「雑談でしたことは忘れてね、サッカーが大好きすぎて、変な相談をしてしまった…だから、忘れてくれ。」

 

私が何を、ダヨさんから雑談ベースで相談されたかと言うと、ダヨさんは熱狂的なヨーロッパサッカーファンで、その中でも、フェイエノールト等で活躍した、

 

「小野伸二」の熱狂的なファン!!❤⚽❤

 

無理だと思うが、もし、小野伸二のサインがもらえたら、送ってほしい。

 

俺の夢なんだ!!と目を輝かせて話してくれたことを鮮明に覚えている。

 

沢山、お世話になったダヨさんの夢✨⚽✨

 

叶えないわけにはいかないでしょ!!

 

とは言っても、小野伸二と私は年齢は近いが接点がない…。

 

そうそう、雑談ですが、私の家系は、母が札幌オリンピック出場(リュージュという1人乗りのそりのスピードレース)、真ん中の兄が、野球で、高校生初のオリンピック出場とオリンピア家系です。

 

天邪鬼な私は、野球をやったことがありませんw

 

兄は、その後、広島東洋カープへドラフト2位で入団、その後、西部ラインズへ移籍し、プロ野球19年間に終わりを告げ、その後、西部ラインズ1軍打撃コーチなどを約10年。(現役中は首位打者も1回獲得し赤ゴジラの名称で呼ばれてました。)

 

当時は、野球が国技?と言うレベルで盛り上がっており、まわりでも野球をすることが当たり前な時代でした。当の私も1980年(昭和55年)生まれで、世の中では、「松坂世代」と総称されました。

 

心のどこかに常に、俺も野球やってたら、もっと違った人生を歩めたのでは??

 

と考えることがありますw

 

じゃーなんで、野球をやらなかったか?

 

・親父が、幼稚園年長の私に対して、6歳離れた長男と同じ強さの打球でノックをしてきて、捕球できないので体のどこかに当たり痛いだけで面白くない。

 

・幼稚園の嫌いな子たちが、野球を選んでいる。

 

・天邪鬼な性格なので、兄2人がやっている野球以外をしたかった。

 

まーこんな理由から、私は考えました。

 

ボールが小さいから、当たるし、痛い。だったら、捕らなくてよくて、ボールが大きいものを選ぼう!!とww

 

そこで、選んだのが、「サッカー」でした。

 

高校生までサッカーを続け、高校は、埼玉県の西武台高校。

 

なんと、サッカー部だけで部員は約400名と、全国大会にも出場する名門校。

 

じゃー余程、サッカーが上手かったのか?

 

いいえwwお勉強が出来なさ過ぎて、進学先がなく、やむなくスポーツ推薦で受け入れてくださったのが西武台高校であり、サッカー部と言うだけですww

 

部員約400名…練習はきついし、試合前には謎の「気合!気合!気合!気合!気合!」という掛け声の怒号は飛ぶし、軍隊並みの縦社会で揉まれましたw

 

今ではいい経験ですし、同じ釜の飯を食った仲間が多く、社会に出てからも繋がりが多いのは、ありがたいことです。

 

さて、本題に戻り。小野伸二との接点探し。接点はすぐに見つかりました。

 

当時、小野伸二は「コンサドーレ札幌」に所属しており、前年、ミスターコンサドーレと愛称がついた「河合竜二」が引退し、フロント業務に就いていた。

 

コラムなので、河合竜二と呼び捨てにしますが、この方、私の西武台高校サッカー部の2つ上の先輩であり副キャプテン、弟が同級生で、同じ埼玉県で、小学校の時から対戦していて、全国大会出場を争ってきた大先輩であり、憧れの人✨

 

先に書きました通り、軍隊であり、縦社会のサッカー部。2つ上の副キャプテンに、当時、気安く話しかけられるわけもなく、卒業から25年もたっており、私のことなど覚えていないだろうな…と思いつつ、インスタグラムのメッセージでご連絡。

 

はい。まったく覚えられてませんでしたwww

 

そりゃそうだw部員約400名もいて、2つ下の後輩を構っている暇がないくらい、始発・終電でサッカーに打ち込む先輩が覚えているはずもない(笑)

 

ただ、約束を守りたい気持ちと、ちょうど、アフリカ野球振興がうまくいかない理由を聞きたく、別件で北海道へ行く予定があり、アポイントメント獲得!!

 

25年ぶりの対面にドキドキしながら、予約していただいた(大先輩に予約させるなww)お寿司屋さんへ。

 

ご挨拶と共に、固く握手を交わし、本当に後輩??(笑)掛け声は??(笑)など西武台高校サッカー部でないと分からないなぞなぞを繰り返し、やっと本題w

 

ナイジェリア元大統領の末っ子のダヨが小野伸二の熱狂的なファンでサインが欲しいです!どうにかなりませんかね???(笑)

 

うーーーーん、仲良いから話は出来るけど、本人が嫌がったら出来ない。

 

それでもいい?と。ちなみに、河合竜二のサインはいらないの?(笑)とw

 

はいwごめんなさいwいらないですw(大先輩に失礼すぎるww)

 

そうして、美味しいお寿司にビールが進み、懐かしい西武台高校サッカー部談義が盛り上がり、閉店と共に2件目へはしごし、深夜まで飲ませて頂きました✨

 

1週間後くらいに、大先輩から連絡が。

 

伸二が良いよ!って言ってくれたから、サイン送るから住所教えて!と❤

 

キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー( *´艸`)

 

飛行機運はないが、人のご縁と運だけはある私!!やりました!!

 

ダヨとの約束が守れる!!❤早速、ダヨへ連絡し、約束していた、

 

小野伸二のサインもらえるよ!届いたら送るね!!と✨

 

子供のように電話ではしゃぐダヨがまた可愛らしかった❤

 

すぐにサインは届き、色紙をイメージしていたが、なんと、ユニフォームにサイン!!しかも、ダヨの写真を送っていたので、あわせて、大きいサイズ!!

 

お気遣い、誠にありがとうございます(´;ω;`)ウゥゥ

 

早速、御礼のご連絡と、EMSの手配をして郵送🏣

 

はい…私はここでへまをしました…

 

郵便物内容に

 

「Uniform signed by Shinji Ono」

と正直に記載してしまったのです…。

何がいけないかって言うと…ナイジェリアはサッカー大国であり、アフリカ全土でサッカーは一番人気のスポーツです。その中でもヨーロッパサッカーは大人気で、小野伸二もスター選手の1人です。

中身が小野伸二のサイン入りユニフォームと書いてあれば、配達員が盗むことはざらにある…それが、元大統領家族の荷物であっても…高値で転売されるリスクしかない…やっちまった…( ゚Д゚)

案の定、空輸で送っているにもかかわらず、1か月…2か月…とナイジェリア国内郵便局に着いていることは確認できるが、空港郵便局から荷物が動かない…(´;ω;`)ウゥゥ

3か月が過ぎても動かないため、やむなく、ダヨにお願いし、空港検疫官もしくは関税関係者へ連絡し、なぜ、荷物が空港から動かないのか???確認をお願いした。

結論はこうだ。

この荷物が欲しかったら金をよこせ。

関税のことではなく、中身が記載されてしまっているので、価値が高いと分かっているから、欲しかったら金をよこせ、そしたら、郵送してやると…。

ふー…私のミスだし、ダヨ…ごめん…(´;ω;`)ウゥゥ

1週間くらいすると、ダヨから連絡が来た。

写真と動画での小野伸二への感謝のメッセージ。

おぉ!?ちゃんと届いてる!しかも、着用してる!!!❤⚽❤

交渉に交渉を重ね、お金を渡すことなくサイン入りユニフォームの奪還に成功したそうだ!!(本当かな…お金以上に怖いのは存在が消されること…)

まー疑心暗鬼になっても仕方がないので、写真と御礼動画を大先輩経由で、小野伸二へ送ってもらい、また1つ約束が守れました✨

すると、次の日、オバサンジョ元大統領よりメッセージが。

「ヤス、息子の夢を叶えてくれてありがとう✨雑談であり、相談であり、お願いだった。ヤスは約束と言うが、約束ではなかった。でも、ヤスは、息子のために全力をつくし、夢を叶えてくれた。ありがとう。次は、私が、ヤスに恩返しをする番だ。私たち家族で、出来ることは何でもする!!家族よ、共に、ナイジェリアの子供たちに明るい未来を提供しよう!」

と( ノД`)シクシク…

ありがたきお言葉✨

何も打算もなく、ただただ、ダヨの夢を叶えたかった。

それが、結果として、助けてくださる、応援してくださる人が増え、輪になり、

子供たちの明るい未来づくりに繋がっていく。

野球を通じて、精神面の教育と将来のプロ野球選手の創出。

そんなプロジェクトにして、善意の輪が広がり、子供たちに明るい未来を作れたらいいなー♪そんなプロジェクトにしたいなー♪とぼんやりではあるが、かすかな光が見えた気がした。

さて、次は、アフリカ野球振興が減退する理由探しのインタビュートリップへ🛫

~続く~

 

⚾WE ARE ONE TEAM⚾

 

 

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